子どもと本(1)「幼い頃の思い出」鈴木 祐子
更新日:2017/12/01
私は福島県で生まれ、4歳になるまでそこで過ごしました。庭の大きな柿の木や、古い縁側、祖母の長煙管(ながぎせる)
など、幼い時期の思い出は断片的にしか浮かんできません。けれども60歳を過ぎた今でもなお、鮮やかに蘇ってくるものが
あります。
それは、雪深い冬の夜のひとときです。当時はまだテレビもなく、夕食後の楽しみといえば、母に本を読んでもらうこと
でした。2人の兄と私が3人並んで田舎家の掘りごたつに座ると、母は毎晩毎晩、「フランダースの犬」を読んでくれました。
この本の始まりの一節が、歌うようにかろやかでやさしさに満ちた母の声と共に、私の心に焼きついています。
ベルギーの フランダースの むらから アントワープと いう まちへ つづく
いなかみちを、ゼハンじいさんは まいにち くるまを ひいて、ぎゅうにゅうを
うりに、かよいます。
くるまに のせた かわいい まごの ネルロは、ゼハンじいさんの たからもの。
しんとして、もの音ひとつしない冬の夜、ふんわり浮かび上がる雪景色。古びた電灯の光がそのことばに重なって、
懐かしく思い出されます。
いうまでもなく、この本はこどものための「愛の聖書」といわれ、愛と誠実の泉からほとばしるような清らかな物語です。
みなしごのネルロ少年と忠実な老犬パトラッシュとの生活に、これでもかこれでもかとふりかかる不幸。ひもじくて寒くて、
今にも倒れそうになりながら雪の中を歩く彼らに、
まちの ほうから まよなかの いのりの かねが かすかに ひびいてきます。
クリスマス クリスマス というように。
このあたりになると、私はもう母のもつ絵本から目を離すことができませんでした。
人間はことばを通して考え、感じることができます。ですから、本を読むことによって様々な感情や思索の体験をする事が
できるのです。とりわけ、幼い時の子どもと本との出会いは、それ以後の成長、子どもの世界全体と無意識のうちに深く結び
つくのではないでしょうか。
※フランダースの犬 講談社 深尾須磨子 文