ベル・ナーサリー プレスクール・ベル ベル・ナーサリー・アスール 一般財団法人千葉県国際文化教育財団

保育室より

「ガリバー旅行記」との出会い   鈴木 祐子

更新日:2024/05/08


 3月が終わる頃、プレスクール・ベルのお庭に桜の花が微笑むように一輪咲いて、大きい花組さんは、卒園式を迎えました。子ども達への式辞の中で、私は「小学校はすばらしいところですよ。皆さんが大好きなライブラリーの何倍も広い図書室があります。たくさん本を読んでくださいね。」と話しました。すると、まっすぐに私の方を向いてお話を聞いていた卒園児さん達は、一斉に大きな声で「はい。」と言ったのです。私は、もう胸がいっぱいでした。言葉を通して心を共有できた時、人と人とは深く結びつくのだと実感した瞬間だったと言えるでしょう。

 年度末の慌ただしさがようやく落ち着き、進級した子ども達と一緒にライブラリーで過ごしていた私は、ふと「ガリバーの冒険」(文 井上ひさし 絵 安野光雅)に目を留めました。嬉しくなって、私は久しぶりに「ガリバー旅行記」を読み返しました。この作品は、四部構成です。第一部「リリパット」(こびとの国)渡航記 第二部「ブロブディンナッグ」(巨人の国)渡航記がいくつかの絵本になっています。

 もともとは大人のために書かれた物語です。世の中には、数えきれないほどのガリバー論、スウィフト論が存在するでしょうから、ここで私が何かを述べる必要もないのですが、第三部「ラピュタ」(とび島)~日本渡航記 第四部フウイヌム(うまの国)渡航記は本当に面白いです。

 ラピュタは、1986年にスタジオジブリが発表したアニメーション映画「天空の城 ラピュタ」のモチーフとして使われています。「機械がまだ機械の楽しさを持つ時代 科学が必ずしも人間を不幸にするとはきまっていない頃、ちょっと西洋風だが何処かわからない国を舞台に、少年と少女の愛と友情を横糸に、飛行石をめぐる活劇を縦糸にくりひろげられる」(注1)作品です。

 少年と少女が困難の中で出会い、心をかよわせ、助け合っていく波乱万丈の物語の中で、二人は「ガリバー旅行記」第三部に記された空中の浮き島ラピュタの宮殿の奥深くで、真の宝を見出します。

 満開の桜からハナミズキやツツジが咲き誇る季節が急ぎ足でやってきて、子ども達の新年度が始まりました。今年は、ベル・ナーサリー・グループの25周年にあたります。私たちは、この25年の間に折に触れてこの作品の主題歌「君をのせて」を歌ってきました。

 
  地球はまわる 君をのせて

  いつかきっと出会う ぼくらをのせて

 

 幼児期は、自身を通して、自分を取り巻いている世界を感じとります。そして、小学校入学を契機に自らの力で社会との接点を持つようになるのです。

 まもなく少年少女として歩き始める子ども達に親として伝えたいことはたくさんあるでしょう。自分が生きる上で一番大切にしている事は何か、それを伝えるために生きていると言っても過言ではないとさえ思えます。

 自分だけでは言葉にしきれなかったり、言葉に出してしまうには気恥ずかしかったりする気持ちを本は代弁してくれます。「ガリバー旅行記」という楽しい作品の中で、300年も前にスウィフトが「人間とは何か」について私たちに問いかけたように、子どもを育てながら私たちは今、自分自身を問い直しているのだと思います。

 幼児期の読書体験が次に来る少年期の読書のための基礎を作ります。ある程度の読書量に耐える力をもった視野の広い子どもを育てることによって、子どもの精神世界はより深く、確かなものとなっていくのです。

 ベル・ナーサリーのライブラリーや学校の図書室で、大切な友となる素晴らしい本に出会い、子ども達の人生がさらに豊かなものになっていくことを私はいつも夢見ています。

 

 最後に、子どもたちにどのような作品に出会ってほしいかをここで私が述べる代わりに、ジブリの宮崎駿氏の言葉を引用したいと思います。


——『天空の城ラピュタ』の目指すものは、若い観客達が、まず心をほぐし、楽しみ、よろこぶ映画である。笑いと涙、真情あふれる素直な心、現在もっともクサイとされるもの、しかし実は観客達が、自分自身気づいていなくてももっとも望んでいる、相手への献身、友情、自らの信じるものへひたむきに進んでいく少年の熱意を、
てらわずに、しかも今日の観客に通ずる言葉で語ることである。」——(注2)

 

 

(注12) 「映画を作りながら考えたこと」高畑勲 徳間書店 より引用しました。

All’s well that ends well     鈴木 祐子

更新日:2023/04/20


 夕方になりますと、ナーサリーでの子どもの様子もまたそれぞれに表情を変えて現れてきます。おやつの時間が終わるのを待ちかねて園庭で元気に遊び始める子、疲れが出てきて涙ぐむ子、お迎えを心待ちにしながらお家の人の絵を描く子…精一杯の一日が暮れようとしています。
 ちょうどその頃に「お帰りの会」で、皆が集まる時間になります。一日をふり返って楽しかったことをお話ししたり、明日の予定を聞いたりした最後に子どもたちは手をつないで「さよならの歌」を歌います。
        おもしろかった おもしろかった おもしろかった
        おあそびも きょうはおしまい さようなら
 今日一日、どんなことがあっても最後は「おもしろかったね」という気持ちで終わるこの歌を、私は毎日好もしく聞いています。「一日の終わりは、笑顔でさよならできるようにしようね。」という考え方って素敵なことだなと思っていたら、久しぶりにシェイクスピアの戯曲を思い出しました。
        All’s well that ends well(終わりよければすべてよし)

 シェイクスピアが出てきたのは、昨年の9月にエリザベス女王が亡くなられたせいでしょうか。国葬の様子が、TV中継され、私も皆に愛されていた女王への思いを新たにしました。その際に、若かった女王の戴冠式の様子が、何度も映し出されました。
 エリザベス女王の戴冠式については、私の家にもちょっとした逸話があります。当時皇太子だった今の上皇陛下が、戴冠式参列のためにイギリスに渡られた時、和食の調理人だった私の伯父も随行しました。そして伯母のためにイギリス人から一台のピアノを買い求めてきたのです。
 何年かして、そのピアノは私の家にやってきました。当時、小学生だった私には、詳しいことはわかりませんでしたが、他のピアノとは全く違う美しい音色が印象的で練習が大好きだったことを覚えています。後に、このピアノは、フランスのエラール社のものであることを知りました。
 長い年月を経て、今、このピアノは、保育園で歌われる歌をたくさん奏でるようになりました。子ども達が毎日うたう「さよならの歌」の伴奏もたくさん練習されています。

 最初にご紹介したこの歌は、次のように終わります。
          せんせい さよなら またあした
          みなさん さよなら またあした

 ものごとには、すべてに始まりと終わりがあります。輝かしい太陽の到来と共に一日が始まり、静かな日没と共にその日が終わる… 一年は元旦から始まり、大晦日で終わる… そうして「また明日」「また来年」という繰り返しが、美しい年月を紡ぐのです。
 同じようにまたベル・グループの新しい年度が始まりました。例年にない季節の早さの中で、花々が次から次へと咲き変わり、大きい花組の子どもたちが卒園し、今は、入園進級した花組の子どもたちが、元気に「さよならの歌」を歌っています。毎年繰り返されるこの事実に感動さえ覚えながら、瞬く間に一年が経ったことを思います。
 けれども、決して繰り返すことのできない始まりと終わりがあります。それは人の一生です。誕生から死までは、一度きりの人生なのです。
 前述したエリザベス女王もそうですが、昨年は、私も本当にかけがえない大切な友人を亡くしました。「また会えるね。」「また来月ね。」と何の疑いもなく会話してから、まだ一年も経っていません。取りもどそうにも取りもどせない喪われた時間…言い尽くせない程の後悔に苛まれながら、今過ごしている一日一日の重さを強く感じています。
 「またね。」という言葉で繰り返すことができないものがあることを痛切に知った今、ベル・グループの令和5年度と、そこに生きるたくさんの命のかけがえのなさを改めて思うのです。

 どこまでも澄んだ春の青空が、私たちはその下で、自由に動けるのだと教えてくれているようです。まっすぐな意志の力を持って努力し、一日一日を積み重ねて、「また」笑顔で一年を終えられるといいなと思います。「おもしろかったね。」と言えるように。
 そして、そうなるためには、もう一つ忘れてはならないことがあることを、シェイクスピアが、All’s Well That Ends Well「終わりよければすべてよし」 の戯曲に書かれたこの台詞で教えてくれているようです。

         Our rash faults
       Make trivial price of serious things we have,
       Not knowing them until we know their grave.

        われわれ人間は、無分別にも手のうちにある大切な宝を軽んじ、
        墓に収めてはじめてその真価を知ることが多い。

 
                       「終わりよければすべてよし」 ウィリアム・シェイクスピア
                                               小田島雄志 訳      
                                           白水社

幸(さき)くあれ  一防人(さきもり)の歌一       鈴木祐子

更新日:2022/11/14

 穏やかな秋の日射しの中、ベル・グループの運動会が開催されました。体操・徒競走・ダンス・玉入れ・リレー・・・次々に繰りひろげられるプログラムの中で生き生きと運動する子どもたちの姿は、とても可愛らしく、そして、本当に立派でした。後日、保護者の方が連絡帳にこんな言葉を書いてくれました。
    
    隣に座っていた、ベル卒園児らしき3人の男の子たちがいました。
    「お花の門とかなつかしいね」とか、「オレらも同じ体操したよね」と、
    昔を懐かしむよう
な会話や、最後大きい花組さんのリレーを見て
    「なんか感動したね」「うん、すごく感動した」と
    子供達なりに感じるものがある会話を聞き、
    今回兄弟も一
緒に参加させて頂けたご判断に改めて感動です。  
 
 コロナ禍の中、難しい決断ではありましたが、何とかご家族一緒に参加できるよう、同居家族4人までの参加とさせていただいていたのです。小学生になった卒園児さんたちは、家族の一員として会場にいることを自覚し、心をこめて応援していました。それがこの言葉になったのでしょう。
 この感動は、私に改めて子どもたちの幸せについて考えさせるものとなりました。家族がごく自然な形で一緒にいられることの大切さ。愛情に満ちたまなざしに見守られながら、幼い子どもたちが安心していられることの大切さ・・・
 元気いっぱいに走りまわる子どもたちを見る親の気持ちは、いつもその幸せを願う気持ちなのです。

 
 「
核」という言葉が、あまりにも軽々しく使われています。毎日のように戦車や砲弾の映像が映し出され、亡くなった命を前に涙を流す母親の姿に心を痛めているのに、どうして何も変わらないのでしょうか。
 20世紀半ばに人類が引き起こしてしまった戦争の傷跡と損失は大きく、はかりしれないものでした。それでも人間は立ち上がり、なりふりかまわず生きのび、やがて軌道修正して品性をとりもどし始めました。けれども、とりもどすことに時間がかかり、なお新世紀に課題を残してしまっていることはたくさんあります。どんなに国が復興しても、亡くなった命はかえらず、深く傷ついた心はいやされることがないのです。
 今、私たちが育てている子どもたちは、21世紀を創造していく大切な「希望」です。我が子を戦場へ送り出すようなことは二度とあってはならない筈です。また、その親の気持ちは、古来から絶対に変わることはないのです。
 人間が初めて発した言葉は「うた」であったと言われています。素朴でかつ本能的な感動の表現として著された最古の歌集「万葉集」の中に、こんなうたがあります。

        父母(ちちはは)が 頭(かしら)かき撫(な)で 幸(さき)くあれて
        言ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる

      
  父と母が、(防人として旅立つにあたって)私の頭をなでて「元気で行って来いよ。」と言った(あの)ことばは、どうしても忘れられないことだ。

  「防人(さきもり)」というのは、「崎人」の意味で、九州の要所を防備するために派遣された兵士です。諸国から徴兵されてくる防人たちの歌は素朴で、方言などもそのままに私たちの心を打ちます。
 この歌も、「頭かき撫で」から作者はまだ幼い顔のぬけきらないような若者であったと想像されます。「幸くあれ」はきわめて短いことばですが、この一言に両親のすべての愛情が象徴されています。どのような時代にも、わが子の「幸せ」を願う親の気持ちは変わることはありません。

 運動会が終わって一段と成長したベル・ナーサリーの子どもたちの顔を見ながら、改めて責任の重さを感じています。

子どもと本(12) アレクサンダとぜんまいねずみ  鈴木祐子

更新日:2022/08/23


 短い梅雨を知っていたかのように紫陽花がいっせいに花を咲かせ、その後に続いた猛暑の中で、たくさんの夏の生き物たちが育っていきました。
 家の庭のレモンの木から連れてきた青虫が、毎日もぐもぐと葉っぱを食べて大きくなっていく様子を子どもたちは笑顔で見つめ、さなぎになり、あげは蝶になって飛び立つ瞬間を嬉しそうに、名残惜しそうに迎えました。
 今、それぞれの園の庭には、自分で種をまいて育てた向日葵が大きな花を咲かせています。私が保育室に行く度に子どもたちは手を引いて自分の名札が挿してある向日葵のところへ連れていってくれるのです。
 自然に触れて感動する体験は本当に大切なことだと思います。それは、身近な事象に関心を持つのみにとどまらず、それぞれの立場から好奇心や探求心をもって考える姿勢に繋がっていくのです。
 何よりも私が、子どもたちと過ごす季節を通して感じることは、小さな子どもたちは掛け値なしに美しいものが好きだということです。
 色とりどりの紫陽花を花瓶に生けると、幼い子はまっすぐに手を伸ばし、少し大きい子たちからは「わあ、きれい。」と歓声があがりました。
 向日葵が咲いたので、保育室に花の絵を持っていってやると、「あっ、絵が変わった。」「ひまわりだね。」……すぐに気づいて、自分たちも自由画帳に描き始めています。
 そのような姿を見る度に、たくさんの制約の中で暮らす今こそ、たくさんの美しい体験をさせてやりたいと思わずにはいられません。

 私もこの季節に美しい心の体験として思い出に残っていることがあります。
それは、ある絵本との出会いです。

         アレクサンダとぜんまいねずみ
 
 アレクサンダはひとりぼっちのねずみ。一つ二つのパンくずをとろうとしては、人間に悲鳴をあげられたり、ほうきでおいかけられたりしていました。ある日、アレクサンダは、子どもべやでぜんまいねずみのウイリーと出会います。二ひきは友だちになりました。

   けれど,かくれがの くらやみの なかで ひとりぼっちの とき,

        アレクサンダは ウイリーを うらやんだ。
     「ぼくも ウイリーみたいなぜんまいねずみに なって,
      みんなにちやほや かわいがられて みたいなあ。」

ある日、アレクサンダは、いきものをほかのいきものに変えてくれるまほうつかいのとかげに出会います。

    「ぼくを ぜんまいねずみに かえられるって ほんと?」
         アレクサンダはふるえごえで きいた。
      「つきが まんまるの とき,」とかげは いった。
       「むらさきの こいしを もって おいで。」

アレクサンダは、毎日こいしをさがします。でも、むらさきのこいしは一つも見つからないのです。疲れはてて家に帰ると、ものおきのすみの箱の中にウイリーを見つけます。たんじょうびパーティーにあたらしいおもちゃをたくさんもらった持ち主のアニーが、ウイリーをすててしまったのです。

     「ふるい おもちゃが たくさん この はこに すてられたんだ。
            ぼくらは みんな ごみばこゆきさ。」
              アレクサンダはなかんばかり,
          「かわいそうに,かわいそうな ウイリー!」

 そのとき、アレクサンダはとつぜん、むらさきのこいしを見つけたのです。

              とかげは いった。
     「おまえは だれに,それとも なにに なりたいの?」
     「ぼくは……」 アレクサンダは いいかけて やめた。
「とかげよ とかげ,ウイリーを ぼくみたいな ねずみに かえてくれる?」

そう、アレクサンダは気づいたのです。自分の本当ののぞみはぜんまいねずみになって人間たちにちやほやされることではなく、大好きな友だちのウイリーと一緒に過ごすということでした。
 「自分は何になりたいのか」この問いは、人が一生をかけて探求していくものです。即ち、自分が最も大切にしたいものは何かという、自身の生き方に対する問いかけなのです。

  アレクサンダは,はしれるかぎりの はやさで うちへ かけももどった。
   はこは あったけど,ああ もう からっぽだった。「おそかった,」

けれども、すみかのあなに近づくと中には一ぴきのねずみがいたのです。「ウイリー!」まほうのとかげは、アレクサンダののぞみをかなえてくれました。
 私がこの本に出会ったのは、40才近くになってからです。子どもを育てていなかったら、知らずにいたかもしれません。以来、それぞれのねずみたちの心の動きに合わせるかのように、千代紙を使ったコラージュ技法で表現された色鮮やかな場面に見とれながら、何度も読み返してきました。
 特に、このとかげとアレクサンダが対峙する場面には深い感動を覚えます。夏の夜の白い満月。花々と蝶々の色をしたとかげ。ねずみ色に紫色が映えて、本当に美しいページでした。アレクサンダは、自分が本当に大切にしたいものを見つけました。

  かれは ウイリーを だきしめ,二ひきは にわの こみちへ はしりでた。
        そして そこで,よあけまで おどりつづけた。

 これからの二人の人生には様々なことが起こるでしょう。けれども、様々な経験をしながら、切なさや悲しみ、愛情や畏敬の念を知ったアレクサンダとウイリーは、誰もが大切な存在であり、大切なものであるということに気づいたのです。

 ベル・ナーサリーの子どもたちが生まれながらにして持っている清らかな心、美しいものを愛する心が、ますます輝くようにと願います。人生という季節の中で一人一人が鮮やかなむらさきのこいしを見つけられますように。

 

                   アレクサンダとぜんまいねずみ 
                   ともだちを みつけた ねずみの はなし
 
                             作 レオ=レオニ
                             訳  谷川俊太郎
                                  好学社

明るいほうへ  鈴木 祐子

更新日:2022/04/07

 お日さまの光が土の中にしみとおり、家の小さな庭にも水仙やヒヤシンス、スターフラワー、ユキヤナギなどが春の訪れを告げるように咲き始めました。
 お彼岸の休みで、久しぶりにゆっくりと庭を眺める時間ができた私は、南側の一隅にあるものを見つけて、思わず声をあげてしまいました。それは、亡くなった母が、部屋の窓から美しい花を眺められるようにと、若い私のために植えてくれた桃の木だったのです。春になると濃い桃色の花を咲かせ、長い年月、季節を楽しませてくれた花の木でした。
 2019年の春、母の臨終は、アスールの卒園式の日。私が、子どもたちに卒園証書を渡し、式辞を述べた時でした。その日の朝も、家の庭には桃の花が美しく明るく咲いていました。
 けれども、その年の秋、各地に大きな被害を出した台風が千葉県を襲い、この桃の木は、根元から完全に折れてしまったのです。無残に折れた木の残骸を時間をかけて片づけながら、私は言葉にならない不条理を感じ、大きな喪失感を抱えて、何か月も過ごしました。
 翌年の春、枯れて真っ黒になった木の根元から、ほっそりとした薄みどり色の芽がいくつも出てきたのです。ひこばえと呼ばれるそのやわやわとした枝にそっと触れてみながら、私はもう胸がいっぱいでした。
 そして2022年、久しぶりにゆっくりと庭に出た私の目の前に、淡いピンク色の花をつけた若木が、突然として現れたのです。以前の濃い桃色とは違った淡い色の可憐な花の枝に、小鳥がとまり、まるでその日のすべてがやさしく私に微笑んでくれているようでした……

 

 この春卒園する子どもたちに、私は、金子みすゞの「明るいほうへ」という詩を贈りました。

        明るいほうへ

 

     明るい方へ

     明るい方へ。

 

     一つの葉でも

     陽(ひ)の洩(も)るとこへ。

 

     やぶかげの草は。

 

     明るい方へ

     明るい方へ。

 

     はねはこげよと

     灯(ひ)のあるとこへ。

 

     夜とぶ虫は。

 

     明るい方へ

     明るい方へ。

 

     一分もひろく

     日のさすとこへ。

 

     都会(まち)に住む子らは

 

 晴れた日の春の青空、再び美しく咲いてくれた花を見つけた時の私の感謝の気持ちは、そのまま子どもたちへの希望と重なりました。
 ナーサリーの子どもたちの心が、子どもたちを育てる私たちの思いが、明るい方へ 明るい方へ、やさしい方へ やさしい方へと向かっていくことを願います。
 それは、春の訪れと共に明日へと伸びゆくものの歓びを、確かに育てていく力を信じていくことでもあるのです。


雪が降った日   鈴木 祐子

更新日:2022/01/12

 16日に雪が降りました。翌朝、陽の光に輝く真っ白な雪の上を走りながら、歓声をあげている子どもたちの笑顔はすばらしいものでした。
 交通機関の乱れや、路面の凍結などの影響で、朝からの保育所運営が正常にできるかなどを心配して一晩中こごえていた私の心もすっかり解かされていくようでした。
 雪組さんの赤ちゃんたちが、純白のお庭に出て、冷たくやわらかいその感触に澄みきった黒い瞳を輝かせている様子を見ながら、私は「枕草子」の一節を思い出していました。


 冬は、つとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。                                                             
                               (第一段)


 冬の早朝。ぴんと張りつめた空気の冷たさ。とても寒いので、急いで火をおこして炭の火を持って歩いていく人々の緊張感…そこにいかにも「冬らしさ」を感じる作者の思いが短い言葉で著されています。
 その感覚を更に明確にするのが、雪の白、火の赤、炭の黒といった色彩です。私はこの段を読む度にその強くはっきりとした対比の美しさに心を惹かれました。 
 この文章は、枕草子の第一段ですから、殆どの人は、学生時代に古典の教科書で読んだことがあるでしょう。古文の代表とも言える清少納言の随筆において表現されているこの感覚は、大変日本的なもののように思えますが、実は、西洋の作品にもこの美しさを際立たせた有名な童話があるのです。

 

 むかしむかしの真冬のさなか、空から羽が舞うように雪がひらひら落ちるころに、あるお妃が黒檀をはめた窓辺で縫いものをしておられました。そうして針仕事の途中で窓から雪を見たひょうしに針で指を刺してしまって、三滴の血が雪にしたたりました。白い雪に映えたその赤がなんとも美しく、お妃にこんな思いを抱かせたのでした。
「雪の白、血の赤、窓枠の黒檀の黒をそなえた子ができたら、どんなにいいかしら」
                       平凡社 井口冨美子 監訳


 このお妃さまが産んだ女の赤ちゃんは、その美しさから「白雪姫」と呼ばれたのです。
 空からひらひらと音も無く降ってきて、いつの間にか目に映る世界を真っ白に変えてしまう雪のあまりの白さに圧倒されて、人々は、その対比に黒や赤を思い浮かべるのでしょう。美しいものを美しいと感じる心は、いつの時代も共通しているように思えます。
 
 ところで、ベル・ナーサリーのクラスの名前は、0才児の雪組、12才児の月組、幼児クラスの花組が基本となっています。これも私が枕草子から名付けたものです。

  村上の先帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花をさして、月のいと明かきに、「これに歌よめ。いかが言ふべき。」と、兵衛の蔵人に給はせたりければ、「雪・月・花の時」と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。 
                             (第百七十五段)

 1000年以上も前に書かれたものなのに「梅の花を雪に挿して月が照っていた」様子を私たちはごく自然な感覚として受けとめることができます。日本の風雅の根本ですね。でもこの「雪・月・花」は、中国 唐の時代の文学者である白居易が編集した「白氏文集」という詩文集にある一節なのです。

 

 時代を超えて、国境を越えて、受け継がれていく美に対する憧れ。感性という言葉にならないある種の精神に裏打ちされた人生における確かな歩みを、私たちは大切にしていかなければならないのだと改めて思います。

ひまわり   鈴木 祐子

更新日:2021/09/07


 2才児のクラス、月組さんの子どもたちが小さな人さし指で土に穴をあけ、一粒ずつ大事そうにひまわりの種を植えました。ほどなくして芽が出て茎が伸び、葉が増えていく様子を、嬉しそうに毎日眺めている様子は本当に可愛らしいものでした。第二自我と呼ばれるイヤイヤ期が激しい年頃なのですが、水やりお当番は絶対のものらしく、一生懸命小さなジョロで水をやっていた季節が瞬く間に過ぎて、いつの間にか自分たちの背丈よりもぐんぐん伸びていく元気なひまわりを見上げる時間が長くなっていきました。
 新型コロナウイルス感染拡大防止対策について、毎日何らかの発令や報告があり、たくさんの仕事に追われていた私は、いつしか庭に出る時間もなくなり、しばらくはひまわりのことも忘れてしまっていました。
 四度目の緊急事態宣言が発令され、更なる緊張と不安の中で、せわしなくベル・ナーサリーにやって来た私の目にいきなり大きなひまわりが飛び込んできました。
 昼下がり、一瞬時間が止まったようにさえ感じられる静寂の中で、天に向かって立ちのぼっていくかのように咲いているひまわりを眺めながら、私は、深い感動を覚えていました。


   ひまわりは金のあぶらを身にあびてゆらりと高し日のちいささよ

                              前田夕暮
 
 私が子どもの頃は、現代短歌がとても身近でした。この歌も、小学校で習ったのか、父や母が教えてくれたのか、記憶は定かではありません。おそらく両方だったのでしょう。「金のあぶら」とか「ゆらりと高し」と言った表現が、大変印象的で、真夏の炎天にたくましく、誇らしげに花を咲かせるひまわりを歌ったこの作品は、私の大好きな歌となりました。

  今、日ざかりの中で金のあぶらを全身にあびたように、こがね色に輝いているひまわりを見ている私の中には、ある種の言葉にならない精神が生まれたようでした。伸びた茎のさきに、何ものをも畏れることなくゆらりと高く咲き奢っているその姿は、人としての大切な心のあり様を思い出させてくれたのです。
 この歌は、強いタッチで描かれた油絵のような感じがすることから、ゴッホのひまわりを引き合いに出して語られることも多いようです。事実、前田夕暮は、ゴッホやゴーギャンの作品に最も強く影響を受けた歌人だと言われています。多くのすぐれた若い歌人が、西洋の印象派の画家たちに強い影響を受けた大正時代。その頃の芸術家たちが残した作品の中にある情熱や憧憬が、今の私の中にこの感動を呼び起こしてくれたのかもしれません。
 ところで、ゴッホは、ひまわりの絵を1枚だけでなく11枚も描いたそうです。でも、「ゴッホのひまわり」と言われて、たいていの人が最初に思い浮かべるのは、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されているあの有名な作品だと思います。
 昨年の夏、私は、偶然にも上野の美術館でこの「ひまわり」を見ることができました。緊急事態宣言が解除されて、制限付きで美術館にも行けるようになった頃でした。皆が口にする「あの【ひまわり】」を見る事に少してらいはありましたが、初めて実際に見た瞬間は、それこそ「感動した。」以外の言葉はありませんでした。何をどう表そうとしても「素晴らしい!」という間の抜けた表現しか浮かんできません。
 毎日、何が起こるか分からないので、美術館を予約することもできず、ただ前売り券だけを持って、近くまで行ってみた私に、神様がくださったご褒美の時間のようでした。

 名画と向き合う時間とは、人の人生における過去・現在・未来という「時」を重ね合わせてくれるようです。
 私が、この夏、ナーサリーの前で出会ったひまわりは、昨年夏のナショナル・ギャラリー展での感動を呼び起こしてくれました。また、大正時代に生まれた両親が、よく読んでいた歌人たちの短歌集について話してくれたことが感慨深く思い出され、そして、目の前にいる幼い子どもたちが、一日一日成長していく姿に改めて思いをはせたのです。

 緊急事態宣言は再び延長され、ベル・ナーサリーも大変苦しい時期です。けれども、命というものが、人の精神においてこのように美しく繋がっていくことが確信できる時、私たちは、幼い子どもたちの未来を大切にするために、この困難を乗り切っていけるのだと信じています。

子供と本(11) 双子の星  鈴木祐子

更新日:2021/07/20

 
 夏の夜、頭の真上に近いところに明るい星が3つ見えます。こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブです。この3つの星を結ぶと大きな三角形ができます。これを「夏の大三角」といい、星座をさがす目印になるのです。

 言うまでもなく、ベガはおりひめ、アルタイルはひこ星のことです。七月七日の七夕の夜に、おりひめが天の川を渡ってひこ星と一年に一度だけ会うことができるという伝説がありますが、そのお話ができるのもうなずけるほど、私が子どもの頃の夏の夜は、天の川がみごとでした。

 天の川が、実は銀河系とよばれるたくさんの星の集まりであることを知ったのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のお話を兄に聞かせてもらったからでした。

 宮沢賢治の見た星空は、いったいどんな星空だったのでしょう。美しい夢のようなお話の中に、たくさんの星空が出てきます。ひとりぼっちで苦しんでいたよだかは、最後に燐の火のような青い美しい光になって燃えつづける星になります。毎晩セロを弾いているゴーシュの家の窓の外は、静かな星空だったと思いますし、「なめとこやまの熊」にでてくる親子の熊は、一緒におひつじ座を眺めながら、やさしい会話をしています。

 中でも、私が大好きでいつもお話をせがんだり、読んでもらいたがったのは「双子の星」という童話でした。

 天の川の西の岸の水精(しょう)のお宮に住んでいる青星のチュンセ童子とポウセ童子。二人の童子は、空の星めぐりの歌に合わせて一晩銀笛を吹くのです。このお話に出てくる「空の泉」を私はいつも探しました。

 ……この泉は晴れた晩には、下からはっきり見えます。天の川の西の岸から
  よほど離れた処(ところ)に、青い小さな星で円くかこまれてあります。底
  は青い小さなつぶ石でたいらにうずめられ、石の間から綺麗な水がころこ
  ろころころ湧き出して、泉の一方のふちから天の川へちいさな流れになって
  走っていきます。……

 幼い私は、星座の図鑑にもどこにも載っていないこの星をいつもいつも探しながら、たくさんの星とお話をしていたように思います。

 双子の星は、清らかで可憐でひたむきです。この二人に触れたさそりや大烏(おおがらす)、うみへびたちの心にはほのかな愛がともっていくようです。読む人の心にも美しい銀笛の音色が聞こえてくるようです。

 

 夏空のみごとな天の川を、今、家のまわりに見ることはできなくなってしまいました。でも、ナーサリーでは、毎年、子どもたちと七夕の笹を飾り、短冊に願いをこめます。まだ言葉を話せない幼い子も指をさして、私に自分の短冊を見せてくれます。そこには、お母さまのやさしい文字が書かれているのです。

 私は、子どもたちにいつでも星空を眺められるような美しい心を育ててやりたいと願います。それには、まず大人たちが、夢のような星空を眺められる心で、子どもに向き合ってやることが大切なのでしょう。

  
   丁度あちこちで星めぐりの歌がはじまりました。

 

     「あかいめだまの さそり

       ひろげた鷲の つばさ

        あおいめだまの 小いぬ、

         ひかりのへびの とぐろ。

 

       オリオンは高く うたい

        つゆとしもとを おとす、

         アンドロメダの くもは

          さかなのくちの かたち。

 

       大ぐまのあしを きたに

        五つのばした ところ。

         小熊のひたいの うえは

          そらのめぐりの めあて。」

 

    双子のお星様たちは笛を吹きはじめました。

 

                         「双子の星」 宮沢賢治 

                          偕成社

子どもと本(10) 春をつげる鳥     鈴木 祐子

更新日:2021/04/21

 
 まだ4月の冷んやりとした空気を感じる中、早い新緑の輝きと共に、子どもたちが、立派に進級、進学を果たしています。今年の季節の慌しさに追いつけないでいる私に、うぐいすが愛らしく鳴いて春を知らせてくれました。その声を聞いているうちに、この3ヶ月の間にBell祭・卒園式・進級式と続いてきたナーサリーの春が、私の中にやさしく沁みとおってきました。Bell祭のステージで小さい花組さんが歌った「うぐいす」のかわいらしい声が、心の中に響いてきます。

 アイヌの伝説風に書かれた童話「春をつげる鳥」(宇野浩二 作)は、私が小学生の時に出会った作品です。名高く強いアイヌの部族長が、目の中に入れても痛くないほどに可愛がっている一人息子を自分よりも更に強く、勇猛な男に育てたいと思います。

 ところが、その子がだんだん大きくなっていくのをみますと、やさしいばかりで少しも強くなりそうにありません。そして、他の子どものように山登りをしたり、うさぎ狩りをすることが嫌いで、そのかわり、木の枝や草の葉を小刀で切っては、それで笛をこしらえて、歌を吹くことが上手なのでした。

 その頃の風習に従って、男の子が10才になった時、父親は、厳しい試験を与えます。それは山の小屋で何日間も食わず飲まずで過ごさせるというような厳しいものでした。何とか辛抱してほしいと願っていた父親は、5日目の朝、たくさんの食べ物を用意して、急いで迎えに行きます。けれども、体の弱い息子は、小屋の中で冷たくなっていたのです。

 皆が深く悲しんで、息子の身体を埋めてやった時、何ともいえぬよい笛の音のようなものが聞こえてきました。それは、小屋の屋根にとまっているみどり色をした小鳥の声でした。その声は、死んだ部族長の息子が好んで吹いた笛の音に似ていて、こんな風に言っているように聞こえました。

   
  「わたしは、いまは、こんな小鳥に生まれかわりました。わたしはこうして、
  歌をうたっているときほどうれしいことはありません。わたしは、この歌で、
  わたしのすきな人間の子どもたちに、春がきたことを、知らせる役をするつ
  もりです。子どもたちは、わたしの歌をきいて、草つみにいったり、小鳥と
  あそんだりする春がきたのだと知るでしょう。わたしは、春をつげる鳥…うぐ
  いすです。わたしはなんという幸福な身分でしょう。」
  これを聞くと、父の悲しみがすっかりやわらぎました。
                    
 自分に合わないことを強いられて、あんなに悲しい顔をしていた息子が、今は、生き生きとした、可愛らしい「春の使い」となって自分の身の幸福を歌っているのを聞くことができたのです。親としてどんなに安堵したことでしょう。できれば悲しい結末になる前に、子どもが人生を幸福に思えるような生き方ができるように見守ってやりたいと心から思います。私自身も春をつげる鳥…うぐいすの声を聞いて、美と平和を求める心が、益々強くなっていることを感じています。

 
 4月にベル・ナーサリーの最後の施設が、塚田にオープンしました。
 今から20年前、地元であるこの塚田・海神地域にすぐれた保育施設を作ろうという志のもとにベル・ナーサリーの活動は始まりました。これは、地域の子どもたちに責任ある幼児教育を行うために試行錯誤を重ねてきた当財団の実践研究の集大成です。
 建物の外壁の色は薄いみどり色です。ここに、ナーサリー4園の子どもたちが集い、幸福な美しい人生の第一ステージを過ごしてくれることを願ってやみません。


                              春をつげる鳥
                              宇野浩二 作
                       講談社 現代日本文学名作集

子どもと本(9)雪の女王   鈴木祐子

更新日:2021/01/18


 毎年、冬になるとどこかの保育室に必ず飾る絵があります。大きなゆきだるまとその横で楽しそうにしている女の子の絵です。今は、アスールの雪組さんのおへやに飾られています。
 20年も前、雪が降った日に5才のこどもに水色の画用紙を渡しました。こどもたちは、そこにまっ白な絵の具で雪を描いたのです。この絵を見ると、降りしきる純白の雪を見て幼い心いっぱいに喜びを感じた瞬間が、今でも伝わってくるような気がします。
 この時期に、ライブラリーの棚にいつでも手に取れるように飾られているのは「雪の女王」の絵本です。
 悪魔の鏡のかけらが目に入ったために、ものごとを正しく見ることができない、或いは悪いところだけが見えるようになってしまい、冷たい心になった男の子カイは、雪の女王に連れて行かれてしまいます。仲良しの少女ゲルダは、カイを信じ、様々な苦難を乗り越えて、その優しい心で友達を救い出すのです。 

 「雪の女王」は、言うまでもなくアンデルセンの書いた有名なお話です。他の童話に比べるとずい分と大作なのですが、夢を見るような小さな物語が、次から次へと鎖を繋いだように積み重ねられていくので、子ども達は、夢中で、先生の読む長いお話に聞き入っています。
 大人として読むと愛や死、永遠、人生のはかなさといったテーマが見えてきますが、子ども達には、すべての困難を克服して、カイの心をあたたかくとかすゲルダのやさしさがまっすぐに伝わっているのがわかります。

 このお話の最後は、カイとゲルダが手を取りあって、二人が住んでいた町に帰ってくる美しい場面です。
 
      カイとゲルダは、また手をつないであるいていきました。
      ふたりが行くにつれて、あたりは、花とみどりにつつまれた
      うつくしい春になりました。

  二人は、いつのまにか自分たちが大人になっているのに気がつきます。そうして、二人は、雪の女王のお城に満ちあふれていた、ぞっとするような冷たいだけだった美しさを、いやな夢でも忘れてしまうようにすうっと忘れてしまいます。
 
       こうしてふたりは、もはやおとなになって、そこにすわっていました。
       それでもふたりはやっぱり子ども———心持においては子どもなのです。
    そうして、季節はもう夏でした。

 
 あと数ヶ月で、大きい花組さんは卒園し、小学生になります。毎日お外に出て、春夏秋冬の季節を身体いっぱいに感じることはできなかった一年間でしたが、そのような中でも子どもたちは確実に成長し、ものごとを感じる力をふくらませてきました。
 今、目を輝かせて先生の読む絵本を見つめている子どもたち。その素直なやわらかい心は、いつか人間の真実と人間性の本質を洞察する、すぐれた力を自分自身の中に育てていく事でしょう。
 大人になって、このアンデルセンの不思議な長編物語を活字を通して読むようになる子どもたちに、美しく輝く夏の光が、あたたかく恵みゆたかにふりそそぐことを願ってやみません。


                            雪の女王
                            アンデルセン童話集
                            山室 静 訳
1 2 3